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2016.04.09 Saturday

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Koyanagi.com引っ越した

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2005.02.04 Friday

1999.07.12 危うくセミヌード【終】

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Koyanagi.com引っ越した
※この日記は21才の私が無謀渡米したときのアーカイブです。当時書いた文章を少しだけ修正していますが、ほぼママです。
渋谷の路上でポストカードを売りつつ、イラストの本を出版。なぜか突然自分の視野を感じ、アーティスティックに初の海外へ行く必要性を感じた私。なぜかニューヨークをチョイス。謎の強迫観念にとらわれて急いでNYへ行った。もちろん、貯金もなく、本の印税もまだ。なんでそんなに急いで行ったのかは分からない。無謀で自虐的で凄く馬鹿だけどどこか勇気づけられる、未完のNY日記


おぱよう!おぱよう!いい朝です!!
キヨミさーん!オパヨウ!!

御機嫌に目覚めて珍しく朝。
昨夜からキヨミの家に泊まっていた。
今日は先日路上で声をかけられたニューヨークタイムズのカメラマンのところへ行き、作品の撮影だ。
眠気なんて一気に飛んでいってしまう。はしゃぎップリ。
しかし外見は落ち着いて落ち着いて。
クールにクールに。(笑)

シャワーを浴びた後「お腹が空いた」と早めに家を出る。
マックを見つけて朝マックしよう。
キヨミとLライン近辺を歩くもマックが見つけられず「探してる時はないよねー」とコーヒースタンドでサンドイッチを食べる。
お腹の支度も万端。
駅に向かうと目の前にマック。
ホント、探してる時に限ってないのがマック。

Lラインの1ストリート駅から乗り込みブルックリンのクイーンズすれすれってところモハメドストリートで降りる。
ほどなくすると怪しいカメラマンジェファリーが迎えに来る。
大きなワタシのカートを見て「何が入ってるの?」とジェファリー。
キヨミに絵が入ってると答えてもらうと「着替えはないの?」とジェファリー。
え?
なんで着替えが必要なの?

彼の返答ップリを疑問に思ってるあいだにスタジオにつく。
スタジオ兼彼の自宅。

これぞアメリカ!
これぞアメリカンサイズのオシャレな暮らしップリ!
とばかりに広い広い。

多分元は何かの倉庫かオフィスだったんだろう。
40帖位のフラット(ワンルーム)で天井が高く、手作りのロフトが寝室の御様子。
毛が長くて太った白いアメリカン猫付き。

「キミのために作ったんだ」というプチスタジオを見せられる。
木材で作った1mx1m位のフタのない小さな箱のよう。
奥から手前に向かってハの字になっている。
きっと写真にうつり込んだ時、奥行きがあるようにうつるためだろう。

小さなオフィス風に配置された机の上にはラップトップのMacがあって、ワタシのサイトが表示されてた。
日本語は文字化けしてて宇宙語状態。
そこから掲示板にローマ字で書き込みをしたりする。
ちょっと浮かれた感じで「今、ニューヨークタイムズのカメラマンの家にいるよ、詳細は後日」みたいなことを書き込んだ気がする。

彼の作品集を見せてもらう。
被写体は女の人が多く、なかにはおばぁちゃんとかもいた。
全体的にファンタスティックな印象。
全てMacでちょっといじってあるようだった。
ファンシーだけど、アメリカっぽいなぁと思う。

ジェファリーはカメラを眺めながら露出を見たりライトの位置を変えたり。
助手もそれを手伝ったり。
来た時から助手がいたので「一緒に住んでるの?」と訪ねると「冗談じゃないよ」とばかりに苦笑してた。

ほどなくして準備が終わったらしい。
こんなセッティングを組んで物写撮るなんて、スケール違うなぁ。
などと考えていたらワタシが呼ばれた。
「写真を撮るよ」って。
そうか、作者の写真も必要なのね。

微妙に写真を撮られるのは慣れているので(笑)、ハイテンションも手伝って超ノリ気で写真を撮られてみる。
「もう少し手をあげて」とか「足を開いて」とかという御要望にも答える。
するとジェファリーが「キヨミの服と交換して」と言う。
え?
あれ?
キヨミはキャミソールの重ね着をしていて、黒いサマーニットのキャミソールとふつうのキャミソール。
ジェファリーが黒い方を着てこいという。
ノーブラで。
あ?

写真になっちゃえば乳首なんかわかんないか。
っていうか、どうせ知ってる人はNYにいないし、まぁいいか。
と、思い、キヨミからキャミソールを借りる。

そして撮影再開。
いつまでワタシの写真をとってるんだろう。
と、考えているとキヨミがアシスタントにつれられて部屋を出て行った。
「どこに行ったのか」とジェファリーに尋ねると「屋上へ行った」と言う。
2人きりになってしまった。

そしてまたしばらく写真を撮られていると露出している肌に光沢をつけるためかベビーオイルをジェファリーが持ってきてワタシの腕に塗った。
そしてまた写真をとっていると更にオイルを塗ろうとジェファリーが寄ってくる。

ジェファリーの顔に浮かんだ薄ら笑い。
肩や腕ばかりでなくお腹にまで塗ってさらりと胸に触る。
そこは自分でやるから、と手を払い除けると「ズボンのジッパーを下げて欲しい」と言われる。
は?
挙げ句、大量のオイルをワタシの手の平に出し、「僕に塗って」と言い放った。

ここでワタシの何かがプチーン。
「お前うざいじゃー」と日本語で叫び、ジェファリーをドーン。

「アホかー!」
「おかしいだろ?!」
とコトバの壁を忘れて日本語を投げつける。

「キヨミはどこ行ったって?キヨミだよ!キヨミ!」と日本語で叫びまくる。
ジェファリーがおたおたしているので「屋上にいる」ことを思い出し、部屋を出ようとしたら「屋上は出て左の階段だよ」と英語でジェファリー。
一瞥くれると「待ってよ、怒らないでよ、話を聞いてよ」みたいなこと英語で言っている。
無視して屋上へ。

屋上へつくとなぜかキヨミも助手に写真を撮られていた。
キヨミへ近付き「あの人な、おかしいぞ。帰ろう。」と、オイル事件をキヨミに話す。
ワタシとキヨミと助手が部屋へ戻る。

「あなたはニューヨークタイムズの名刺を差し出して、ワタシの絵を見て写真を撮らせて欲しいって言ったでしょう。それなのにワタシの写真ばかり撮るのはおかしい」ということをキヨミに訳してもらう。
するとジェファリーは「キミの絵がキミに似ているのでキミの写真を撮りたくなった」と宣う。
「とにかくもう時間がないから帰る。」とキヨミに言ってもらうと「じゃあ、絵の写真を撮らせて」「キミのポートフォリオになるから」と言ってきた。
絵を出し、彼に渡し、写真を撮ってもらう。
この時にできてたアクリル画は2枚。

写真を撮りながらジェファリーが本を片手に片言の日本語で話し掛けてくる。
「オコッテルノ?」
「タノシンデル?」
「スワラナイノ?」
なんだそりゃ。と、思い、手にしている本を見ると日本語がローマ字で書いてあるナンパガイドのような本。
シュチュエーションはクラブとか、バーとか。
ベットシーンでの日本語まで書いてある始末。
「キモチイイ?」「ドウシテホシイノ?」「アイシテルヨ」とか。

キヨミとその本をみて大爆笑。
怒りも達するところまで達して「こんな本読んでるんじゃしょうがねぇなぁ!」とまたコトバの壁を越えてジェファリーにいう。「気持ちワル!」とか「やーだピョーン(ビブラートを効かせて独特のメロディーで)」とか叫ぶ。その一語一句をキヨミがジェファリーに訳してて笑えた。状況が良くわかっていない助手はワタシの「やーだピョ〜ン」を真似る。ワタシと助手で「やだぴょん」合戦。

絵の写真を撮り終わって帰ろうとすると車で送ると言われ、送ってもらった。
車内でも飽きずにやだぴょん。
なんだ、ワタシはおかしくなっていた。
うちの近所で車を止めてもらって降りる。
懲りずにジェファリーはハグをしてこようとする。
元々ハグっていう習慣は好きじゃないし、っていうか、なんでお前懲りねぇんだよと避けると、手を取られて手の甲にキスをされた。この時何となく、「この人恐いなぁ」と思った。

部屋について脱力。
怒りと笑いが交互に込み上げてくる。言い表せない感情。
伝説としてはおいしいけど、思い出としては最悪。でもまぁ、今後面白い話題ができたことは現実。
留学中の日本人のみんな、気を付けてね。

----
…と、ブランクを空けて掲載してきた古いNY日記ですが、当時書いたのはここまでです。
この危なくヌード写真撮りそうになった事件の日記を書いたのを最後に書き記すのを辞めてしまったようです。
この日記を書いた当時もまだ若いので文章の端々に勘違いした刺々しさが見て取れて、己のことながら痛々しいのですがあえて今回は直さず載せておきます。(いつも少し手直ししていました)
もう遠い思い出の彼方ですがたぶんジェファリーいい人だったのだと思います。この日記を今見ても。
手ブラ写真は撮られましたが。
意志の疎通が上手くできてなかっただけで彼はその後現像した写真をキヨミ経由でくれたし、だいたい1度会っただけで自宅を訪れる私に覚悟というか常識が逆になかったようにも思います。
まぁ、ただ、好みの男性でなかったというのは揺るぎないのですが。残念…

ここに印された内容は完全に当時の日記でありノンフィクションですが、登場人物などの名前は多少架空をふまえています。記憶が定かでなかったり。

ここに残された日記以外のNYの思い出は気が向いたときにでもmemory's stockの方にでも書いていきたいと思います。
NY日記、長いこと読んでいただいてありがとうございました。


i live you! | 未完1999NY日記
 1999.06.22着いたよ
 1999.06.23弱気星人
 1999.06.24 日系企業
 1999.06.25 さよなら涙くん
 1999.06.26 微・本調子
 1999.06.27 TWILO!
 1999.06.28 窓もベッドもエアコンも。
 1999.06.29 さみしくなるよ
 1999.06.30 部屋ゲット
 1999.07.01 開けなきゃドアを蹴破るぞ
 1999.07.02 路上予想外フィーバー
 1999.07.03 ジャパニーズポップアートの巨匠さん
 1999.07.04 花火の音
 1999.07.06 道ばたで出会った2人の黒人の「親切」
 1999.07.07 キヨミ
 1999.07.08 ファッキュー合戦
 1999.07.09 ブラザー意識

今初めて気がついたけどキヨミと出会って1週間もしないで泊まりに行ってジェファリーのところに行ったんだね。凄いなぁ。
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2004.12.03 Friday

1999.07.09 ブラザー意識

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Koyanagi.com引っ越した
※この日記は21才の私が無謀渡米したときのアーカイブです。当時書いた文章を少しだけ修正していますが、ほぼママです。
渋谷の路上でポストカードを売りつつ、イラストの本を出版。なぜか突然自分の視野を感じ、アーティスティックに初の海外へ行く必要性を感じた私。なぜかニューヨークをチョイス。謎の強迫観念にとらわれて急いでNYへ行った。もちろん、貯金もなく、本の印税もまだ。なんでそんなに急いで行ったのかは分からない。無謀で自虐的で凄く馬鹿だけどどこか勇気づけられる、未完のNY日記


また、夕方近くに目が覚めた。
今日はキヨミ嬢に路上で会う約束をしている日。
未来的神少女のラフを持って路上へと向かうことにした。
ふと、日本から預かっているビデオのことを思い出し、一緒に持って行くことにした。
こんなに賑やかな路上の風景を撮っておかないとね。

しかし予想は大はずれ。
今まで2回の路上とは全然ちがって暇すぎる。
ビデオをまわしていたのでただの観光客に見えるのか?
ビデオを足元に置いてスケッチブックを描いていてもほとんど人が止まらない。
そのうちキヨミが来て、絵を見せると気に入ってくれた御様子で一安心。
しばらく二人で路上をしていたが、やっぱり人は止まらない。

私はこの街のことを全然知らないし、持っている服も日本から持ってきた少しの服だけだった。
「かわいい服屋さんを教えてよ」といい、路上は中断。
古着屋めぐりを始めた。
マイケルエコノミーが好きだった。
彼がニューヨークのイラストレーターで、今、Tシャツの会社を作っていることは知っていたが、初めて原物を見ることが出来た。でも、買わなかった。
余談だが、当時、マライヤキャリーが来日して、お台場で38万円のアメリカンショートヘアーを買った時に着ていたピンクと白のラグラン半そでのTシャツに描いてあったキャリーのイラストはマイケルエコノミーが描いたものだ。少しイメージダウンした。(笑)

路上を切り上げて歩き回っていたので大荷物だった。
うちに来てみる?と、キヨミを誘ってうちに来た。
うちの狭さにびっくりしていた。

「これで家賃600ドルは、ボラれてるで。」

のちにこれは確証する。
キヨミが子犬をひざに乗せて戯れているとおもらしをされる。
笑った。(笑)

アーリーが友達の家にピザを食べに行くと言う。その人の家は近くで、クーラーもあるから行かないか?と、誘ってくる。タダメシだと勇み足で、キヨミと行くことにした。
道すがらアーリーは黒人女性の友達に会い、彼女も友達の家へと誘った。
その友達の家にはすでに何人かいて、微妙に盛り上がっている。
ワインとピザとたばこの煙りと、それと微妙にちがう怪しい煙りがあがっていた。
ころ合いを見て先にキヨミが帰る。
彼女は今、学校が休みなので暇らしい。明日も会う約束をした。

キヨミがいなくなってから、何となく帰るタイミングを逃し、ぼーっとしていると、また、アーリーと白人男性でけんかが起こった。なんのことやら良くわからないうちにアーリーは怒って出て行ってしまった。
アーリーが出て行った後、みんなあきれ顔をしていた。
原因はなんだったのかと言うと、犬の話題。
今回は、アーリーが「いい犬の買い手はいない?」と聞くと、その白人男性が、「おれが全部でも買ってやるよ、金が欲しいだけなんだろ?」ってなことを言ったらしい。
これに怒ったのは昨日の件よりかは合点がいく。
いよいよいづらくなったので帰ろうとすると、「アーリーのだ。渡して」とキャメルマイルドを預かる。

カギを持って出なかったのでチャイムを鳴らすと応答なくカギが開いた。
部屋に入るとアーリーがふさぎ込んでいた。

「おれの犬を何だと思っているだ。」と呟くアーリーに今日は同意した。

明日キヨミと遊ぶことを思い出し、エリコも誘おうと思い、キーフードの公衆電話へいく。
エリコが出た。
「電話を貰う予定だった日、友達と御飯を食べに言って思ったより遅くなっちゃったの」と、エリコ。
(私は電話事体しなかった事実をこのとき言わなかったようで、当時公開されたこの日記を読んで怒られた。それから連絡がない。ごめんね。)

明日キヨミと言うこと遊ぶので、一緒に遊ぼうと約束する。
場所は初めて会った場所。
夕方にまた、私はポストカード販売をするので適当に来てといい、電話を切る。
部屋に帰るとアーリーはリビングに自分の作品を広げていた。
彼の作品は焼き物から絵画までいろいろだが絵画は面白い。
窓枠を窓ごと額にして作品になっている。しかも、窓枠は廃棄品でぼろぼろ。味があってかっこいい。
壊れている窓枠を一緒に直す。
今夜、個展のためにこの作品を全て搬入するんだそうだ。
手伝うことにした。

とりあえずアパート前に作品を全て出し、タクシーを拾うことにした。
「タクシーを拾ってくるから作品を見ていて」と言われて、タクシーを拾うアーリーを遠くから見ていた。

しかし、タクシーはなかなか止まらない。
乗車拒否をされているようだ。

やっとの思いで1台捕まえてこちらへやってきた。
しかし、荷物を見るとアーリーが降りたスキに行ってしまった。
こんなことがあるんだ。
憤るアーリーに「今度は私が捕まえてくる」といい、アベニューへ出る。
すぐにタクシーが止まり、アパートの前まで行ったが、荷物を見ると「嫌だ」と言って行ってしまった。

額然とした。
どうしていいのかわからないし、頭にくるしでアーリーと怒っていると、黒人男性が通り掛かった。

彼はアーリーの友達でもなく、ただの通行人だ。

困ぱいしている私達を見て、彼はアーリーに話し掛けた。
アーリーは彼にことのいきさつを話すと、なんと彼は、自分の車で私達と作品を送ってくれると言った。
そして本当に車をまわして私達を送ってくれた。

ケニア出身の彼はアフリカ出身のアーリーとはちがってかなり痩せている。
アーリーは彼に「さすがブラザーだ!」と言ってハグをしあい、別れた。

同色人種だからといってこんなことが出来てしまうブラザー意識の強さに感服した。
ふと、一昨日の日本人の反応の冷たさを思い出した。
一通り作品を運び込み、帰りのタクシーは素直に捕まった。
家に帰りつくと、肌の色なんて関係なく、人を尊敬できる人になろうと強く思った。
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2004.11.16 Tuesday

1999.07.08 ファッキュー合戦

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※この日記は21才の私が無謀渡米したときのアーカイブです。当時書いた文章を少しだけ修正していますが、ほぼママです。
渋谷の路上でポストカードを売りつつ、イラストの本を出版。なぜか突然自分の視野を感じ、アーティスティックに初の海外へ行く必要性を感じた私。なぜかニューヨークをチョイス。謎の強迫観念にとらわれて急いでNYへ行った。もちろん、貯金もなく、本の印税もまだ。なんでそんなに急いで行ったのかは分からない。無謀で自虐的で凄く馬鹿だけどどこか勇気づけられる、未完のNY日記


物事をやり始めると終了すまでやるので結果的に早い。
大概のことは1晩で終わらせる。
瞬間的に集中力を発揮するタイプ。
だからつぎの日は死んでいる。

昨夜、キヨミ嬢のかわいい未来神少女を書き上げるがために遅くまで起きていたため、ぐったり疲れて夕方まで寝ていた。
ムクっと起きて昨日の売り上げのことを思い出す。

100ドル。
あ、CDラジカセが欲しいんだった。

急いで支度をしてアスタープレイスのKマートへ行く。
ここには何でもある。
一番安くてそこそこカッコ良くて、いい音の出そうな見た目のCDプレーヤーを買い、嬉しさの余り小走りで帰路につく。

家に帰るとアーリーがようやく旅行から帰っていた。
「ハイ!CDプレーヤー買っちゃった!」と、アーリーの旅の感想も聞かず部屋に入ろうとすると、扉に何か挟まっている。手紙だった。
彼氏と実家と友達と、それとエリコからの手紙だった。

手紙には「7/4に会えなくてごめんね、電話をちょうだい」と言う内容だった。
ごめんねも何も、電話をしなかったのは私なのに。
連絡をもう1度とる切っ掛けが出来て嬉しかった。
彼氏からの手紙に心和み、親からは「貧乏らしいので少ないけど」と、5万円振り込んでくれたらしい。
友達は、今インターネット上で私のイラストのTシャツを作ろうと言う話が持ち上がっているから、勝手にアンケートを始めてもいいか、特に聞きたいことはあるか?という手紙の内容だった。素敵っす。

その日のうちに手紙の返事を、CDを聴きながら書いて(っていうか、前にも書いたけど彼氏には毎日書いていた)ポストに投函した。

また家に帰るとアーリーが犬の散歩に行こうと誘ってきた。
子犬は7匹、それとマザームーンで計8匹。
これを全部どうやって散歩させようかと悩んでいると、同じアパートに住んでいる白人女性が帰ってきて、子犬を「かわいい!」と撫でている。
すかさずアーリーが彼女を散歩にさそう。
快くオーケーしてくれた。
とは言うものの、
犬の数はそれでも多いので私が2匹、
白人女性が2匹、
アーリーが子犬3匹とムーンは御留守番、
というフォーメーションで出た。

アパートの玄関を出てすぐくらいに、
白人女性はともだちに出会い、
「後から行くから」と立ち話を始めた。

アーリーと2人で歩いていると後ろから「ヘーイ!ユー!むちゅ(投げキス)」とマソが大声で叫んできた。
アーリーが「ともだちか?」と聞いてくるので「良くわからない」という表情で答えた。
マソがこれを見て私が黒人好きだと思われたら困るなぁ等と思った。

大きなマンションの前まで来て、
「犬の放し飼い厳禁」と書いてある柵付きの芝生にアーリーが子犬達を放して遊ばせた。
だんだん犬達に個性が出てきて
「あいつはスメル(においをよく嗅ぐ)だ」とか
「あいつはジャンピン(良く跳ねる)だ」とか、言っていた。

いつまでたっても白人女性は追ってこない。
アパートにつくと階段に犬の声が響いていた。

どうやら彼女は言うことを聞かない2匹の犬に手を招いて、散歩を断念してしまったらしい。
すると彼女とアーリーとで物凄いけんかが始まった。

「おれの犬を散歩に行かせないとはどう言うことだ!」
「ごめんなさい、どうしていいのかわからなくて」
「このメス犬(ビッチ)!」
「なんですって?!」
「ビッチって言ったんだよ!!ファッキュー!」
「あんたこそよ!ファッキュー!」
「ファッキュー!」
「ファッキュー!!」

と、「ファッキュー合戦」になる。
全部で何回言っていたか数えれば良かった。
「ファッキュー」という言葉の重みがよく分からない。

お互いに叩き付けるようにドアを閉め、部屋に入るとアーリーが、
「ごめんよ、ホントに頭に来て。気分はどうだい?」
「え?ふつうだよ。」
「おれは最悪だよ。おれはあの女を絶対許さないね。お前はどう思う?」

どう思うと言われても、
そこまで怒ることじゃないし、
大体頼んだアーリーも悪いじゃん。
という英語も思い浮かばず、かっこわるいが笑うしかなかった。

お互い自室に戻ってもまだアーリーの怒っている声(独り言)が聞こえる。
よっぽど犬が大切なのか。
っていうか、やはり不可解だ。
考え方にも壁はあるなと思った。
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2004.11.09 Tuesday

1999.07.07 キヨミ

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※この日記は21才の私が無謀渡米したときのアーカイブです。当時書いた文章を少しだけ修正していますが、ほぼママです。
渋谷の路上でポストカードを売りつつ、イラストの本を出版。なぜか突然自分の視野を感じ、アーティスティックに初の海外へ行く必要性を感じた私。なぜかニューヨークをチョイス。謎の強迫観念にとらわれて急いでNYへ行った。もちろん、貯金もなく、本の印税もまだ。なんでそんなに急いで行ったのかは分からない。無謀で自虐的で凄く馬鹿だけどどこか勇気づけられる、未完のNY日記


昨日買ったふとんのおかげで、良く寝れたので寝過ぎた。
そして、ふとんを買ったのでお金が寂しくなった。

今日は平日だが、いったいどのくらい反応があるんだろう。
よし、今日は2回目の路上をやってみるか。
私の唯一の収入源、路上ポストカード売り。
とはいうものの、
日中だと路上に座っていようものなら
絶対日射病になって倒れてしまう。
暑いんだもん!

夕方になるまでぼけぼけと過ごし、5時位からアスタープレイスへと向かう。
今回はクーパースクエアを真正面に見て、三角コーナーのところでやった。
ここの方が直射日光は浴びるが目立ちそうだからだ。
計画は案の定大成功。
人垣が幾度となくできた。

このへんは、けっこう観光客は少ないが日本人の多い街だ。
顔を見ただけでは日本人だか中国人だか良くわからないが、
服装を見ると日本人の色遣いは分かってきた。
ピンクやオレンジ、水色など
原色に近い色をコーディネイトしている黄色人種からは
大概日本語が聞こえてくる。

もちろん私も御多分に漏れず原色好きで、
見れば向こうにもすぐ私が日本人だとわかるだろうが、
日本人の人は目が合ってもすぐにそらして行ってしまう。

人垣が出来て覗きに来てくれても
私が日本人だとわかると行ってしまうのだ。

郷土愛と言うか、同国人だと言う嬉しさ、楽しさに欠けるのだろうか。
せっかくアメリカにいるのだから欧米人に触れていたいわ!ということかしら。
するとエリコみたいな人は珍しかったんだろうか。

ちょっと寂しいな、と思った。

人並みが切れて日が傾いてきた頃、
黄色人種の足が見えてこう言った。

「めっちゃかわいい、絵やなぁ。」

関西弁でそう言った声の主は
アジアンチックな服装をした女の子だった。

彼女の名はキヨミ。

「あんなー、わたし、背中にタトゥー入れたいんやんかぁ。」
(この関西弁は憶測で書いているので間違ってるかも)

彼女は中学生の頃からいろいろな国を留学していて
今はこっちの大学に通っている留学生だった。
もちろん出身は大阪。
左肩に神様っぽくて、かつ未来っぽい女の子のタトゥーを入れたいと言ってくれた。
これがホントに物凄く嬉しくて、書き下ろすと約束する。

「いつ頃ここに、おんの?」
「決まってないけど、大体週末。そうだねー。今週の金曜日には出ることにするよ。」

その時までに私はアジアの神様っぽい未来少女を書いて会う約束をした。
彼女が去って行ってからも、人垣ができることがなくなったし、早く家にかえって未来神少女を描きたいと思ったのでほどなくして切り上げた。

家に帰ってから金勘定をすると今回も100ドルオーバーあった。
もっとたくさんポストカートをプリントアウトしてくれば良かった。
もしくは印刷に出してしまってても採算とれたな、これは。
思わぬ反響の良さにうはうはする。
ハイテンションのまま絵を描く。

実は、「仏像」だったり「観音様」だったりと言う題材は私もとても好きなところだった。
しかもそれを一生体に刻み込みたいと言ってくれている。
さらに仕事として依頼してくれた。
こんな素敵なことがあっていいのか?!
こりゃ、私が個展を開く時、彼女をショウケースに入れて監禁しなければ。等と思ってみたり。

気分がのってきているから、
いい音楽を大きい音で聞きたいなーと思う。
ディスクマンに即席スピーカーを付けて聞いていたが音が割れてハラが立ってしまう。

せめてラジカセが欲しいなぁ。
ペンは止まることなく走りつづけた。
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2004.10.21 Thursday

1999.07.06 道ばたで出会った2人の黒人の「親切」

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渋谷の路上でポストカードを売りつつ、イラストの本を出版。なぜか突然自分の視野を感じ、アーティスティックに初の海外へ行く必要性を感じた私。なぜかニューヨークをチョイス。謎の強迫観念にとらわれて急いでNYへ行った。もちろん、貯金もなく、本の印税もまだ。なんでそんなに急いで行ったのかは分からない。無謀で自虐的で凄く馬鹿だけどどこか勇気づけられる、未完のNY日記



5日のことが良くわからない。
ペイントアシスタントに行ったような行かなかったような。

スケジュール帳の7/5の欄には
「ペイントアシスタント3日目 100F≒42C 暑死。 牛乳まずい」
と描いてあるので行ったような気もするが、隣に矢印で「サボる」とも書いてあるので良くわからない。
「牛乳まずい」はファットフリー(脂肪分0)の牛乳を「無調整牛乳」だと思って「アメリカの牛乳って薄いんだ。まずい」と勘違いしたことはおぼえている。

5日のことは良くわからないが、とにかく6日(今日)はサボった。
そしてもう2度と行かないと誓った。
ひとりで。

先日、路上で100ドル稼いだ分のお金がまだあまっていた。
今までふとんがなかったのでアーリーから借りたラグを敷いて、あまった部分のラグをハラにかけて寝ていた。
さすがに起きると首やらからだやらそこかしこが痛い。
遅かれ早かれふとんを買う必要があるし、今日買ってしまえと、ハウストンストリートへ行く。
前にMさんとふとんを下見に行った店に行くためだ。

店内にはマットレスやらクッションやら、カーテンやらなんやら、置いてある。
ディスプレイなのか備品なのか良くわからない。

「敷きふとん」というと綿のたくさんつまった厚さは精々5センチ程度の物を思い浮かべるだろう。
そして「シングルサイズ」といえばちょうど畳一帖分程の物がシングルと呼ばれるのだろう。

しかしアメリカの「FUTON」はちょっと、いや、大分ちがう。

厚さは10センチ程はある。
おまけに「シングルサイズ」は日本のセミダブルくらいはあるんじゃないだろうか。
とにかくでけぇ。
そしてこれが重い。
一番安くて小さいFUTONだと言うのに。

色は白と黒の2色あり、黒を選んだ。
しめて48ドル程。
こんなにでけぇのだからもちろん郵送してくれるだろうと住所を言うと「もって帰れ」と言われる。
とても持っていけないと言うと肩に担いでみせて、「こうすれば持てる」と教えてもらう。

このふとん屋から自宅までは7ブロック。

自慢じゃないけど、私は非力だ。
肩にまでふとんが持ち上がらない。

なんとか消化器の上にふとんを置いて肩まで持ち上げることができてもバランスはとれないわ、重くて腰が痛いわ。
ほとんど引き摺るようにしてアベニューAまで辿り着いた頃にはふとんを包んでいるビニールは破れまくっていて持つところがない。
疲労困ぱいしてると黒人の男の人がかなり哀れそうな顔をしてこちらを見ながら通り過ぎてゆく。
私と進行方向が同じだ。
私を通り過ぎて3メートル程彼が進んでいくと突然止まり、
俯きがちに首をふると私のところにやってきた。

「どこに行くんだ?」

4ストリートだと言うと、なんと彼はそこまで持っていってくれると言った。

軽々と肩にふとんを担いだかと思うと歩き始める。
ただの通りすがりなのになんてすばらしいひとなんだ。
「サンキュウ」以上の感謝をあらわす言葉を知らないのが情けなくなった。

やがて4ストリートに着き「気をつけろよ」と彼が言うとふとんを置いて去っていった。
せめてもと思い、目一杯感情をこめて「サンキュウ」といい、彼を見送った。

さぁ、後は半ブロックでうちだ。
横断歩道を渡ってあと10メートルと言ったところか。
破けたビニールをたくしあげなんとか横断歩道は渡ったものの、この10メートルが、遠い。

非力な自分に泣きそうになりながら頑張っていると、いつもこの通りでたむろしてる黒人のひとりが近付いてきた。
彼はどうやら日本人好きらしく、私を見るといつも投げキスを投げてくるので恐かった。
おそらく私と他の日本人の区別はつかなのに。
「困ってるのか?手伝ってやろうか?」と言うとふとんを持ってくれた。
きっと日本人の中でも「私」の識別は出来ていないだろうから(なぜなら私は他のたむろしている黒人と彼の識別ができないから)好意に甘えようと思った。

「おれの名前はマソだ。いつでも困ったことが会ったら“マソー、助けてー”って言うんだぞ。あんたの名前は?」「ユウ」と答えるとアパートの前についた。

サンキュウと言うと「部屋まで持て言ってやるよ」とふとんを下ろそうとしない。
困った。

とりあえず部屋の前につく。
するとようやくふとんを下ろしてくれた。

しかし、部屋のカギをあけるのを待ている。
困った。

「これは私の家ではないので入れてあげられない」
というといきなり抱きついてきて首筋にキスをしてきた!
キャー!
「私は日本人だから!(ハグやフレンチキスの習慣はないのよ)」と言って突き放す。

この台詞は良く使ったが、本当にハグとか挨拶のキスは苦手だ。
このできごとは短いニューヨーク生活の中で恐ろしい体験のうちの一つとなる。(笑)

彼が帰るまで部屋のカギを開けないぞ(開けるところを見せないぞ)と言う気迫で彼に愛想笑いをする。(他に表現の仕方がわからなかった)なんとか分かってくれたみたいで意外にもマソは帰っていった。「困った時は言うんだぞ。おれの名はマソだ」と言い残して。

しかしこの時愛想笑いは厳禁だったと後で知る。

とにかく、マソがちゃんと出ていって、2重扉の最後を扉を閉める音を聞き、部屋のカギを開け、自分の部屋にふとんを突っ込む。
まっ先に洗面台に行き、顔と首を洗う。

ふとんの感触に惚れ惚れしていると、まだ日は高いのに寝てしまった。


コヤナギ ユウ YU KOYANAGI
KoyanagiYu Yu Koyanagi:Graphic Designer, Illustrator, Editor, Blogger
twitter. @KoyanagiYuinstagram.com/koyanagiyu/
The chief editor for Tokyo Nylon Girls.(http://nylongirls.jp/) The world Chengdu panda ambassador semi-finalist (2012). Special knowledge in Shinto culture.(I have license for Shito knowledge test!) Love coffee and chocolate. (I don't drink alcohol unfortunately)

コヤナギユウ
デザイナー、イラストレーター、エディター。
yours-store代表、東京ナイロンガールズ編集長。77年新潟生まれ。生クリームとマヨネーズが苦手で英語が不自由。コーヒーとチョコレートが好きな、神社検定3級、世界成都パンダ大使セミファイナリストカナダ観光局公認ブロガー観光大使。 >>くわしく
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株式会社 yours-store(ユアーズストア)会社概要
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