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2016.04.09 Saturday

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Koyanagi.com引っ越した

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2005.09.30 Friday

24才:父追悼エッセイ『のっぺい汁』

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去年(※2001年)の9月。父が死んだ。
死因はアルコール依存症による肝炎・肝臓癌からの食道癌だった。
癌が見つかったのが2月。
8月には回復のメドが立ち退院できてたのにだ。

新潟出身。
芸者業をしていた未婚の母を持ち、
幼少の頃は祖母に育てられた。
小学校入学前に彼の母が亡くなり、
親族からは邪険にされ辛い少年時代を過ごす。
高校卒業と同時に親族と縁を切り、上京。
根拠のない自信を持ち、
若い頃はバーテンダーで
カクテルコンクールで全国優勝した事もあった。
若気の至りで入れた入れ墨は金額不足で完成していなかった。
海が綺麗で降り立った茨城県で母と会う。
妊娠を知り出会って3ヶ月で結婚した。
水商売をしている上の妊娠で母の親族から結婚を許されず駆け落ち。
しばらく茨城に居たが金銭的に苦しくなり、唯一の親族である妹を頼りに新潟へ。

バーテンダー、クラブ支配人、店長等をする。
父親としては最悪で兄が生まれてからも
給与は一銭も母に渡さず、帰宅も週に1度だけだった。
母は水商売をして生計をたてた。
まだ6才の兄の両肩を掴み、真顔で
「パパは癌だからあと2年で死ぬ。」と言った。
もちろん狂言だった。
兄が生まれてから9年後、ワタシが生まれる。
ワタシには幼い頃の父の記憶がない。
存在は記憶しているが思い出がない。
7時頃小学校から帰ると母が夕食を出し、仕事に出かける。
いつも夜は兄と留守番をしていた。
ワタシが小学校中学年の頃、
父が仕事先で「兄貴」と慕っていた人物から
うまい商売を紹介され、その気になり借金をする。
ねずみ講と気がついた時「兄貴」は消えて借金が残る。
父はますます家へ近寄らなくなり、
同時に家から家具や電化製品が消えた。
電気もガスも水も止められた。
事情が良く分からないワタシはキャンプ生活のようだと喜んでいたのを覚えている。
それから2年後、父は初めて就職し、サラリーマンになった。
安定した収入と初めての仕事。
言葉や数字の駆け引きで目上の人から
評価されることを楽しんでいるようだった。
異例のスピード昇格を約束されたりもした。
でもその約束は守られなかった。
それから朝仕事に行ったかと思うと30分後には帰って来て
家で酒を飲むようになった。
夕方にまた会社へ行き、タイムカードを記録して30分後には帰ってくる。
そしてまた酒を飲んだ。
ワタシが中学校2年生の頃、父が入院した。
アルコール中毒による肝炎のためだ。
しかし父はいくら説明しても肝炎とは信じなかった。
病室のベットの脇には「癌と生きる」という本があった。
ある日など深夜、病院を抜け出し「殺される!」と言って帰って来たりもした。
3ヶ月程で退院した。
退院後も癌だと信じているようだった。
ワタシに理不尽な説教をしながら「オレの命ももう長くない」と泣いていた。
会社へ行くようになっても生活は変わらず
ただ酒を飲んでは暴れていた。
母は家出した事もあったが戻って来た。
ワタシは高校を卒業し就職のため上京。
それから少しの後、父は会社をクビになった。
1年間の無職生活の後、
小さな宝石店の訪問販売営業として就職したが
安物を高くは売れないと3ヶ月で辞めた。
それからまた1年間の無職の後、掃除機の訪問販売営業へ就職。
営業成績もよく本人も気に入っていたが慰安旅行先で
同僚から売られた喧嘩を買って辞めた。
彼はひたすら酒を飲んだ。
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2005.04.07 Thursday

27才:大塚のウーピー・ゴールドバーグ

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私はデザイナーを名乗っているけれど、きちんと美術を習ったのは学校の授業以外にない。
しかも高校は普通科で美術は選択授業だったため1、2年生の時は定員オーバーで受けられなかった。
だからデッサンもクロッキーも習ったことがないし、3年生に念願の美術の授業もいきなり本番の油絵だった。油絵の取り扱い方も習わなかったので立体と見間違うほど塗り込んだインコの絵がいまでも我が家にある。

イラストレータを始めたころ、美大生の友達が絵を見て「もっとデッサンをやった方がいい」と言われた。日常生活でペンと紙さえあればシアワセ!と言うタイプの絵描きではなかった私は、自主的にデッサンを行うのは困難で、ほぼ、しなかった。

そのうち興味はデザインへ。
Macの操作とデザインの基礎は独学と実技で覚えてきたけれど誰かに習ったわけではない。
そう、私は理屈と基礎と呼べる具体的な修行期間がないのだ。
これが私の売りであり、弱みである。
異端児と胸を張れるような性格もしていない。
冗談では言うが…

そんな話をエステのサロンで世間話の一環でしていた。
するとスタッフのユミちゃんが
天使にラブ・ソングを…「じゃあ、うちの絵画教室においでよ。“天使にラブ・ソングを…”みたいな先生がいるよ!」
ウーピー・ゴールドバーグですかっ!
そりゃ行くしかないだろう!

「絵画教室」というと、みなさまどう言ったものを想像するだろうか。
私は真っ先に白い洋館が思い浮かぶ。
木枠の窓にかかったエースカーテンがそよ風にたなびく明るい教室。
そこに聞こえるのは紙と鉛筆のこすれる音のみ。
中央にはローマ人の石膏像。
これは極端な妄想だとしてもそう遠くないのではないだろうか。

待ち合わせて大塚駅。
私の鬼門、池袋の隣である。
ウーピー・ゴールドバーグの館は路地を入った民家の奥、民家の中の民家、キングオブ民家であった。
なんせ昭和21年築。

小屋?

と見間違う小さな間口に完全木造。
台所なんて石造りでトトロの世界だ。
井戸ではないが。

飛び上がれば手の届きそうなむき出しの天井裏は明らかに低いのに、その圧迫感を感じないのは部屋が狭いからだろう。
四畳半の和室は畳が傷み、ござが引いてある。
一面は庭に続く引き戸、一面は押入のふすま、後の二面は天井まで積み上がった壁面収納。
そこに置かれた小さなこたつテーブル3台。

奥から出てきた小柄でショートヘアのウーピー・ゴールドバーグの片手にはブルボンや小池屋の「おかんのお菓子」
お皿に盛り分けると3人の小中学生男子がもりもりと、にぎやかに食べ、あっと言う間に庭に出ていってしまった。チャンバラしたりして遊んでいる。

…どこに来たんだっけ?

「この子、you!ちゃん、デザイナーしてるの。」

紹介されて我に返る。

「どうも、コヤナギです。イラストレータもしてるんですけど、基礎がないので教室というものが気になり、来てみました。作品というか、イラストレータをしていたときのイラストを持ってきたのですが…」

「…デッサンしなさい、デッサンを。昔ここに来てた○○って言うのがいてね…」

突然始まる昔の教え子の思い出話。
その思い出話になぞって人というのは相手にメッセージを投げかけてくるものだと思うのだが、独特の間合いで話を聞いていても、一向に意図がつかめない。
私は回りくどい話が不得手で要約しようとしてしまう。
聞き続けることに堪えかねて口を挟み、言い換えると否定されてしまうのだが、私の耳がおかしくなければ要は同じ事だ。
ペースを乱してはいけないようだった。

「絵さえ書いていれば楽しい人種でもないんで、今はデザイナとして就職しようとしてるんですよね」

と、こちらの状況を分かってもらおうと口を挟んだ。
私は現在27才でことしで28才だ。
独学ではあるがデザインの従事してもう7年になる。
ただ私は見た目が若いのだ。いつも学生に間違われる。

「ビジネスアーツっていうのはね、クライアントあってのデザインなのよ。私が、私がじゃ、食べていけないの、分かる?!

かなり強い口調で凄まれてしまって度肝を抜かした。
そんなにぺーぺーに見られるのは嬉しいと言うよりやや勘に障ってしまい

「えーっと、就職してデザイナをやったことがないだけ、職業としては7年やっているので、その辺は、大丈夫かと…そんなに無垢に見えますか?」
じゃあ何を悩んでいるのよ!

そもそも悩んでないよ…
いまいちかみ合わない会話の中ですっかり「自我の強い」キャラにされてしまった。
自分では柔軟性のある方だと思っていたけど…
そうなのかしら…

一向に絵は書かず、面食らっていると

「何?絵を書きに来たなら書いて良いわよ!見てあげるから!」

と言われ、そんな書かない状況がデフォルトの環境で書き進められるほどアーティスティックじゃないですから…

その後は終始精神論、人生論の話で聞く一方。
口も挟まずただ聞き手に終始し、それでも「我の強いキャラ」のままだったので、あんまり素直にその人生論を受け入れられなかった。
だってこんなに挟みたい口もつぐみ、聞き手に回っているのに「我が強い」のかと。
もしかして腹の底では全然聞いていないと言うことも見透かされていたということ?

興味深く、学の深い大塚のウーピー・ゴールドバーグの話は、休憩を挟みつつ気がつけば夜の10時。
駅までの道すがらもマシンガントーク。最終的には

「you!ちゃんは私と同じ、こっち側の人間だから!」

と言われてしまった。
同じか…

絵のことはさっぱり学ばなかったけど(その代わりお金も払わずに済んだが)人間勉強にはなった。

自分が話したいことがある時は、相手の考えや人となり憶測よりも幅を持たせて会話し、断定はやめようと。

大塚のウーピー・ゴールドバーグは私たちを駅まで送ると、キングオブ民家へ消えていくのだった。
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2005.03.25 Friday

27才:今だから言えるけど…from甥

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この間体調が悪くて新潟に帰省していた。
私が実家に帰ると家族はちょっとしたお祭り騒ぎになる。
ご飯もいつもより少し奮発してくれるし、楽しい話題が尽きない。
共通の趣味が多いのにそばにいないので話題がなくなることがないのだ。

週末、長岡の兄の家に行ったとき土日を利用して甥も新潟の実家へお泊まりに来た。
甥は小学校3年生で時折生意気盛りが顔を出して本気でむかつくこともあるが、おおむね子供らしい子供でよい子だ。家族の中では一番のちびっ子で泣き虫だけど学校では背も高く、勉強も出来て親分肌だと言うから幼くても人間は方側面からでは分からないものだ。

土曜日、母は市が開いている介護免許取得研修を受けており、その日は最後の講習会のため外出だった。
自分で調理する能力に欠けている私と甥はコンビニで朝ご飯を買って食べた。

私「昼ご飯どうしようかね。コンビニもなんかね。」

幼少の頃赤ちゃん言葉で話す大人を軽蔑いていた私は、大人になってからも子供にたいして個人として話す。叱るときは叱るけどなるべく何でも相談するようにしている。

甥「新潟は長岡と違ってなんでもあるからね」
私「でも歩いて30分はかかるよ、どこも」
甥「30分なら近いよ」

私にとっても甥にとっても新潟は故郷であり、旅先であり、落ち着くけれどエキサイティングな町だ。なじんでいるのに久しい感覚がテンションを上げる。
この日、外はあいにくの悪天候で雪が吹雪いていた。
けれど、気分が高揚していた私たちはうきうき気分で寒がりながら、私の小学校時代の通学路を歩き、新潟大学前のモスバーガーを目指すことにした。

私は探検が好きで、それでいて適当な性格をしているのでうる覚えの通学路を小道にそれては容赦なく迷う。

甥「絶対、道間違えてるでしょー!」

間違えてはない。激しい遠回りはしたけれど。

甥「はらへったー」
私「そう?私はまだ全然お腹空いてないよ」
甥「…じゃあ、お腹空くまで遠回りして良いよ」

良いやつだ。
30分の道のりをたっぷり1時間掛けてモスバーガーに着く。
私も甥もモスバーガーを頼んだ。

甥「最後にソースが溜まっちゃうんだよね」
私「それは仕方ないよ」
甥「食べたいなーと思うんだけど、親父に怒られる」
私「食べるよ」
甥「汚いじゃん!」
私「分からないように食べるんだよ。バレなきゃ良いんだよ」
甥「まだパンが入ってますよーってふりをするんだ!」
私「そう。マナーは見た人が不愉快じゃないために守るんだよ」

子供に教えなければいけないいくつかのしつけを、概要ではなくその神髄をうまく抽出して相手に伝えられると嬉しくなる。それが出来て私はご満悦になった。
甥も汚くないように、上手にソースを食べる術を身につけてちょっと嬉しそうだった。

話をしていたら昔の私の服装の話になった。

私「でも、ほら、最近は落ち着いたでしょ」
甥「えー、あんまり変わらないよ」
私「髪は黒いし、服も黒いし」
甥「あー、前はレインボーの服とか着てたもんね。
  …今だから言えるけど
  “えー?!虹色かよ!それはちょっと、どーなの!”
  って…」
私「思ってたんだ」
甥「うん」
私「そうか」

子供と思い出話をしているなんてなんだ不思議だ。
私のハデな服、変だと思ってたんだね。

黙っていたと言うよりも、言ったところで何か変わる私じゃないと判断して黙っていたのだろう。
ほらやはり、子供はいつも考えている。

この甥が、こうして私と友達のように話してくれるのもいつまでだろうか。
気の利くベースをこれからも養って、私とお喋りしておくれ。
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2005.02.03 Thursday

18才:給食のおばさん職

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まもなくセンター試験の結果などが出て、お若いみなさまの指針が決まる時期ですな。
私にとって高校の卒業はかなり「放っておいても勝手にやってくる」的存在だった。
これというような将来の目標も見いだせないし、とはいえ学校とかでこれ以上強制的に学ばされるのも嫌だし、家は出たいし、貯金はないし、東京進出は譲れない。
勤勉な友達は「就職進学」というやつで、学校以外は奨学金を支給する会社で働いて専門学校へ行ったりもしていたが、学校へ行くという妥協となおかつ興味のない分野で働くというダブルパンチに自分が耐えられる自信がない。
ひとり暮らしでフリーターが想像に易いがそれを始めるまとまったお金もない。
バイトで稼いだお金は全部ティーンズブランドと言われる服になった。

自立して暮らすためには金がいる。
寮があるところで働き出せばさしあたり独立できる。
貯金を貯めるために2年は頑張ろう。

なんつったって低脳な女子校に来る求人票だ。
東京という都心に職場と寮がある職種…と言うだけでだいぶ選択支が狭まった。
そうだ、私は料理ができない。
ひとり暮らしを始めたら料理ができないと困るぞ。

目に止まったのは「大量調理職」
いわゆる給食のおばさんだ。

給食!なんて素敵な響き!
これこそ、学校に入ったつもりで2年間頑張り、お金までもらえると思えば万々歳じゃないか、と。

で、私の社会人デビューの初職業は給食のおばさんだったわけです。
入社して初めて気がついたのですが、本社が大阪にあり、関西を中心に東京にも事業所はあったけれど、全国に散らばった勤務先。
まずい、東京に配属されないかもしれない。

新人研修で粟島に島流し。
毎朝6時に起きて施設の周りを5周走り、社歌の斉唱。
食べ盛りのため食事が足らず、エンゼルパイで補う。

さぞ大変な血もにじむ毎日を…と思われるかもしれないが、日頃の行いが私は良いんだ。
高校時代に副生徒会長をしていたため研修時から班長として配置。
つっても貴重品管理とか電気消したりするだけだけど、力仕事なんかはぜんぜんしなくて良くて楽で楽で。
みんなカッター競技で腕もげそうになっている中、その船の上で水平線を眺める優雅な研修を過ごしました。

そんなこんなで1週間後、配属された先は北千住。
たまにお買い物で上京してきたけれど行くところなんて渋谷原宿なもんで、ギリギリ上野からJR乗るくらい。初めて聞いたときは23区かどうかも分からず。
(北千住はギリギリ23区内の足立区でも隣千葉)
乗換に利用する「日暮里」駅が読めず、手帳の端っこに小さく「にっぽり」とメモしたのが懐かしい。

割烹着に三角巾、白とストライプのエプロンに100人前の回転釜カレー!
(回転釜でカレーを作るの得意だった)
早番は朝5時30分から勤務開始で朝食の8時まで意識不明のまま大量の仕込みを終わらせるの。
あれはあれでおもしろかった。

あれから9年…もうすぐ10年かと思うと…ああ!
なんか嬉しくないわ!!
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2004.12.20 Monday

6才:犬?キツネ?この子なにもの??

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Koyanagi.com引っ越した
すいません…
検索技術が及ばず、誰か知っていたら教えて欲しいなぁと思いエントリーしてみます。

子供の頃近所の公園で1度人に飼われているのを見たことがあるのですが、それ以来出会ったことのない動物です。
子犬のような小さな姿で駆け回り、キツネのような三角の大きな耳が印象的。
なんじゃーこのかわいい生き物はー!と興奮するのもつかの間、すぐ飼い主の方へ走り去ってしまいました。

この正体不明の動物、その時は子供だったので「感動によって誇大に見えたのかも」とさして気にしていなかったのですが、ネット上で画像だけ見付けました

実在しているのね!
友達の検索によると「どうやらカルフォルニアにいるらしい」ということは分かったのですがその先がどうも…
全然分からないです。

この子、なんていう名前の何科の動物なのですか!



コヤナギ ユウ YU KOYANAGI
KoyanagiYu Yu Koyanagi:Graphic Designer, Illustrator, Editor, Blogger
twitter. @KoyanagiYuinstagram.com/koyanagiyu/
The chief editor for Tokyo Nylon Girls.(http://nylongirls.jp/) The world Chengdu panda ambassador semi-finalist (2012). Special knowledge in Shinto culture.(I have license for Shito knowledge test!) Love coffee and chocolate. (I don't drink alcohol unfortunately)

コヤナギユウ
デザイナー、イラストレーター、エディター。
yours-store代表、東京ナイロンガールズ編集長。77年新潟生まれ。生クリームとマヨネーズが苦手で英語が不自由。コーヒーとチョコレートが好きな、神社検定3級、世界成都パンダ大使セミファイナリストカナダ観光局公認ブロガー観光大使。 >>くわしく
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